フランシスコ・エルナンデス・デ・トレドFrancisco Hernández de Toledo
博物学者、王室侍医[スペイン]
1587年 1月28日 死去享年74歳
フランシスコ・エルナンデス・デ・トレド(スペイン語: Francisco Hernández de Toledo、1514年 – 1587年1月28日)はスペインの博物学者、スペイン王室の侍医である。
1570年に薬用植物の研究のために新大陸に渡った最初の学者である。
略歴=
トレド県のラ・プエブラ・デ・モンタルバンに生まれた。
アルカラ大学で医学と植物学を学び、当時の習慣に従って、医師としての名声を得るためにスペイン各地を旅して治療を行った。
グアダルーペの修道院・病院やトレドのメンドーサ病院で働き、薬用植物の研究で有名になり、古代ローマの博物学者、ガイウス・プリニウス・セクンドゥスの著作のスペイン語訳を行い、自ら行った人体の解剖の所見を加筆している。
1567年にスペイン王、フェリペ2世の侍医となった。
新大陸の探検=
→詳細は「en:Francisco Hernández Expedition (1570-1577)」および「en:Population history of Indigenous peoples of the Americas」を参照
1570年に新大陸の薬用植物と動物の調査を命じられ、歴史上最初の新大陸の科学目的の調査を行った人物となった。
息子のフアンとともに新大陸に渡り、メキシコで標本の収集と分類、通訳を通して先住民の話を聞き、医療の研究を行った。
現地人の3人の画家、Baptized Antón、Baltazar Elías、Pedro Vázquezに図版を描かせた。
1576年には疫病による新大陸植民地化とアズテク族の人口激減(英語)が発生し、外科医の Alonso López de Hinojosos(ウィキデータ) と内科医 Juan de la Fuenteの ……
フランシスコ・エルナンデス・デ・トレドが亡くなってから、437年と295日が経過しました。(159909日)