木辺弘児 氏(きべこうじ)
作家[日本]
2008年 2月2日 死去心不全享年78歳
木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 2008年(平成20年)2月2日)は、日本の作家、小説家。
本名は住田 晴幹(すみた はるき)。
人物=
1931年(昭和6年)に兵庫県神戸市に生まれる。
大阪大学理学部を卒業後、カメラメーカーであるミノルタに入社するも1958年(昭和33年)、肺結核のために休職する。
ストレプトマイシンによる軽快後、1960年代、コンピューターが取り入れられたばかりのレンズ設計に従事し、ミノルタSRシリーズ用の交換レンズを送り出す。
コンピューターを用い、OTFを評価関数としたレンズの自動設計を研究し、1970年(昭和45年)、応用物理学会分科会日本光学会光学論文賞を受賞。
技術者としてレンズ設計用プログラムの開発を行ういっぽうで、人間の脳の情報処理、人間脳へ関心を抱くようになり、創作活動をはじめる。
1977年(昭和52年)から大阪文学学校に通うも、その矢先、腸にガンが発見され手術を受ける。
1981年(昭和56年)「水果て」(第87回)、1985年(昭和60年)「月の踏み跡」(第92回)が芥川賞の候補作品となる。
当時、ミノルタの取締役に就任したばかりであったが、これをきっかけに早期退職。
文学に専念する。
2008年(平成20年)2月2日に急性心不全のために、兵庫県西宮市で死去した。
作品・単行本=
『錆色の時』「文學界 1983年6月号」 1983年(昭和58年)
『登り蛾』「文學界 1984年3月号」 1984年(昭和59年)
『月の踏み跡』「文學界 1984年9月号」 1984年(昭和59年)
『沖見』 編 ……
木辺弘児さんが亡くなってから、16年と293日が経ちました。(6137日)