堀文子 氏(ほりふみこ)
日本画家[日本]
2019年 2月5日 死去心不全享年102歳
堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2月5日)は、日本画家。
東京市麹町区平河町(現・東京都千代田区麹町)生まれ。
洋画家の内海信彦は甥である。
アルビレックスチアリーダーズに2003年から2010年まで所属していた堀文子は、同姓同名の別人である。
来歴=
永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。
府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した。
在学中の1939年に第2回新美術人協会展入選。
1940年に女子美術専門学校を卒業し、新美術人協会会員。
『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描き生計を立てる。
1952年、第2回上村松園賞受賞。
28歳の時に外交官の箕輪三郎と結婚するも、42歳の時に死別した。
夫の死後、1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出る。
旅の中でアンフォルメル、シュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。
1967年に神奈川県大磯に転居。
1972年、絵本『くるみ割り人形』で第9回国際絵本原画展でグラフィック賞を受賞。
1974年創画会の結成に参画、同年多摩美術大学日本画科教授。
その後、多摩美術大学客員教授として1999年まで日本画を指導した。
1981年に軽井沢にアトリエを構える。
1987年にイタリアアレッツォ ……
堀文子さんが亡くなってから、5年と290日が経ちました。(2116日)