守屋俊志 氏(もりやしゅんじ)
俳優[日本]
2008年 12月16日 死去享年74歳
守屋 俊志(もりや しゅんじ[4][3]、本名・旧芸名:守屋 俊男〈もりや としお〉[4][3][1][2]、1935年〈昭和10年〉12月23日[4] - 2008年〈平成20年〉12月16日[4][1])は、日本の元俳優。
元劇団演技座代表[5]。
北川事務所に所属していた[6]。
神奈川県横浜市生まれ[2]。
静岡県出身[1][2]。
妻は女優の北川裕子[1][2]。
人物=
1955年、劇団演技座に入団し[3][2]、1956年『お月様のジャン』で注目される[4]。
1962年から安保体制打破新劇人会議の情宣部書記を務めていた[7]。
テレビドラマは日本テレビ『愛の劇場』でデビュー。
1963年の劇団解散後、グループりんどうに所属[3]。
1969年に三島由紀夫と松浦竹夫が主宰していた劇団浪曼劇場に入団[2]。
三木事務所[8]、エヌ・エー・シー[9]、東京企画[10]、三朋プロを経て[11]、1981年に北川事務所設立に参加[2]。
環境大学のコラム「芸能界の路地裏」も執筆[2]。
テレビ東京『事件・市民の判決』などのテレビドラマに出演した[4]。
1971年よりTBSのドラマ『刑事くん』に島崎刑事役でレギュラー出演。
『刑事くん』で共演した宮内洋は、ゴルフが非常に上手だったと述懐している[12]。
2008年12月16日午前0時45分、東京都江戸川区の自宅で死去。
72歳没。
73歳の誕生日を迎える1週間前でもあった。
出演=
テレビドラマ=
ゼロ戦黒雲隊 (1964年 - 1965年、NET / 東映)
特別機動捜査隊 (NET / 東映)
第132話「痴漢の季節」(1964年) - 岡本信二
第169話「春遠からじ」(1965年) - ……
守屋俊志さんが亡くなってから、16年と198日が経ちました。(6042日)