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江崎利一 氏(えざきりいち)

江崎グリコ 創業者[日本]

1980年 2月2日 死去享年99歳

江崎利一 - ウィキペディアより引用

江崎 利一(えざき りいち、1882年〈明治15年〉12月23日 - 1980年〈昭和55年〉2月2日)は日本の実業家。
江崎グリコの創業者。
現・会長の江崎勝久と、その弟の江崎正道の祖父。
経歴= 佐賀県神埼郡蓮池村(現・佐賀市蓮池町)に生まれた。
父は清七、母はタツといって江崎が生まれる二年前から薬種業を始めていた。
ときには近在近郷を一軒ずつめぐり歩き、医療の相談相手もつとめていた。
暮らしは貧しかった。
長男だった江崎は家事の手伝いや弟妹の子守りに明けくれた。
1897年(明治30年)春、小学校高等科を卒業した。
薬の商売のほかに朝食前の塩売りを始めた。
1901年(明治34年)6月、父が死去。
弟妹をかかえた6人の家族の全責任を19歳の江崎が一身に背負う立場になって、以前にもまして商売に励んだ。
登記代書業を始めた。
佐賀の筑後川河口にある、戸ヶ里漁港で水揚げされた牡蠣(カキ)に含まれるグリコーゲンから「グリコーゲンの事業化」を思いつき、アメの中に牡蠣エキスからとったグリコーゲンを入れた試作品をつぎつぎと作るようになった。
1921年(大正10年)4月、38歳の江崎は一家をあげて大阪に移住した。
1942年(昭和17年)、大阪4区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、第21回衆議院議員総選挙に出馬したが落選。
そのため、戦後公職追放となる。
家族・親族= 江崎家= (佐賀県神埼郡蓮池村〈現・佐賀市蓮池町〉、兵庫県西宮市) 父・清七(薬種業 ……

江崎利一が亡くなってから、44年と293日が経過しました。(16364日)

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