北脇永治(きたわきえいじ)
果樹園芸家[日本]
(二十世紀梨の栽培・普及に尽力)
1950年 1月23日 死去享年73歳
北脇 永治(きたわき えいじ、1878年10月1日 - 1950年1月23日)は、鳥取県(当時は島根県)高草郡三谷村(後の気高郡松保村大字桂見、現在の鳥取市桂見)出身の梨農家。
鳥取での二十世紀梨の栽培・普及に尽力した篤農家である。
経歴=
1904年(明治37年)、松戸覚之助から二十世紀梨の苗木を10本購入し、鳥取県に二十世紀梨をはじめて導入した。
二十世紀梨は換金作物としての魅力が高く、国内各地で生産され始めていた。
北脇は「これを鳥取県に普及させて、農家の貧しさを救おう」との志を持ち、新聞広告等を通じて熱心に苗木の配布を行った。
この熱い想いが、のちの「鳥取といえば二十世紀梨」の隆盛につながっていく。
当時、二十世紀梨は上品な香りと爽やかな酸味が受けて日本各地で栽培されていたが、黒斑病の大流行で栽培を断念する農家が続出。
当時、ナシ栽培の先進県であった愛媛県、愛知県、新潟県など日本各地の梨産地が次々に脱落していく中、北脇はじめ地元の懸命な努力により、鳥取県は二十世紀梨の生産地として生き残った。
それでも1923年(大正12年)から3年連続で起こった大暴風や大旱魃などの災害に加え、黒斑病が猛威を振るい、全県下でほとんど収穫できない状態になってしまう。
この梨存亡の危機に彼は敢然と立ち向かい、持ち前の行動力で地元の農家をはじめ、国や県をも動かす。
黒斑病に関する試験地として農林省の認定を受けるとともに、植物病理学者 ……
北脇永治が亡くなってから、74年と302日が経過しました。(27331日)