リチャード・ハミング 氏Richard Wesley Hamming
数学者、計算機科学者[アメリカ]
1998年 1月7日 死去享年84歳
リチャード・ウェスリー・ハミング(Richard Wesley Hamming、1915年2月11日 - 1998年1月7日)は、アメリカの数学者、計算機科学者である。
計算機科学や電気通信の分野で多大な功績を残した。
ハミング符号、ハミング窓、球充填(またはハミング限界)、ハミング距離などで知られる。
生涯=
ハミング距離を2次元で視覚化した図
1915年、シカゴに生まれる。
1937年、シカゴ大学を卒業し、1939年にはネブラスカ大学で修士号、1942年にはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でPh.D.を取得。
第二次世界大戦中はルイビル大学で教授を務め、1945年にはマンハッタン計画に参加。
同計画の物理学者らが提示した方程式を初期の電子式デジタルコンピュータを使って解くプログラミングを行う。
ハミングへの依頼の中には、原爆によって大気中の窒素が暴走的熱核反応を起こさないかを検討した計算の確認作業もあった。
ハミングは数式をチェックし、「計算は正しいようだが、酸素と窒素の捕獲断面積の式はわからない」と答えたが、当時、それを知るエネルギーレベルの実験は実際には不可能だった。
ハミングは「お前は何をしたんだ、ハミング、宇宙で知られているすべての生命を危険にさらしているというのに、肝心なところをろくに知らないだって?」と自問し、生命の運命を数学に賭けることになったその経験から「数学とは遊戯的な芸当ではなく、我々の社会の本質的部分なのだ」と結論している。
( ……
リチャード・ハミングさんが亡くなってから、26年と318日が経ちました。(9815日)