芸能人・経営者のおくやみ情報

ヨアキム・ボニエJoakim “Jo” Bonnier

レーシングドライバー[スウェーデン]

1972年 6月11日 死去レース中の事故享年43歳

ヨアキム・ボニエ - ウィキペディアより引用

ヨアキム・ボニエ(Joakim "Jo" Bonnier, 1930年1月31日 - 1972年6月11日)はスウェーデン出身のレーシングドライバー。
ジョー・ボニエ、ヨー・ボニエとも表記される。
経歴[編集] 1930年1月に学者の家で生まれる。
17歳からキャリアをスタートさせ、2輪レースやラリーに参戦。
北欧仕込みの運転感覚で、氷上では無敵の強さを発揮したとされる。
F1[編集] 1956年最終戦イタリアGPにおいて、マセラティからF1デビュー。
当時は珍しい北欧出身のF1レーサーとなったが、決勝はリタイヤ。
翌1957年は4戦に参戦したが、うち3戦リタイヤとなり、完走は開幕戦のアルゼンチンGPのみとなった(7位)。
1958年も当初はプライベーターのマセラティから参戦するも、なかなか好成績を挙げられずにいた。
しかし終盤にBRMのワークスチームに招かれると、移籍2戦目となる最終戦モロッコGPで4位に入り、初入賞を記録した。
1959年は第3戦オランダGPにおいて、予選でポールポジションを獲得。
決勝でも、何度かラップリーダーの入れ替わる展開の中、ポールトゥーウィンを達成。
自身およびBRMにとって初となる勝利を記録したが、その後は5位入賞1回という成績でシーズンを終えた。
また結果的には、オランダGPがF1キャリア唯一の勝利・表彰台となった。
ヨアキム・ボニエ(1966年) 1960年もBRMから参戦するが、5位入賞2回という成績に終わる。
1961年・1962年はポルシェからの参戦となるが、どちらも入賞は5位・6位が ……

推定関連画像

ヨアキム・ボニエが亡くなってから、52年と46日が経過しました。(19039日)