森永太一郎(もりながたいちろう)
森永製菓 創業者[日本]
1937年 1月24日 死去享年73歳
森永 太一郎(もりなが たいちろう、慶応元年6月17日(1865年8月8日) - 昭和12年(1937年)1月24日)は、日本の実業家。
森永製菓創業者。
安倍晋三首相の妻・昭恵は外曾孫娘にあたる。
父親の死後、幼少期のほとんどを母親の実家力武家で養われる。
経歴=
父・常次郎、母・キクの長男・伊左衛門として肥前国松浦郡伊万里(現・佐賀県伊万里市)に生まれる。
生家の森永商店は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶器問屋で、伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったが、父の代には家勢も衰え、6歳の時に父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚。
親類の家を転々とする不遇な幼少時代を過ごした。
やがて伯父の山崎文左衛門に引き取られて山崎太一郎となり、商人の心構えを教え込まれた。
12歳まで自分の名さえ正確に書けず、奉公の余暇に手習いをさせてもらう約束で本屋の住み込み店員となり、13歳で野菜の行商人になり、15歳から伊万里焼の問屋に奉公し、19歳で上京して、叔父も出資していた横浜の合資会社有田屋(伊万里焼の営業所)で働いた。
20歳で結婚し、翌年九谷焼を外国商館に販売していた横浜の陶器問屋道谷商店で数年を過ごしたが同店が倒産。
債権者への返済のために店の商品を海外で販売することを目論み、明治21年(1888年)24歳の時に妻と長女を日本に残して渡米した。
サンフランシスコで焼き物の販売を試みたが、労働者階級の地域であり、陶器の価格 ……
森永太一郎が亡くなってから、87年と301日が経過しました。(32078日)