エドワード・ドミトリク 氏Edward Dmytryk
映画監督[カナダ→アメリカ]
1999年 7月1日 死去享年92歳
エドワード・ドミトリク(Edward Dmytryk, 1908年9月4日 - 1999年7月1日)は、カナダ生まれのアメリカの映画監督。
来歴=
カナダ・ブリティッシュコロンビア州グランド・フォークス生まれ。
両親はロシア帝国(当時)から移住してきたウクライナ人。
幼少時に一家でサンフランシスコに移住(アメリカ合衆国の市民権を取得したのは31歳の時)。
幼い頃から映画に熱中しておりそれが高じて15歳の時、メッセンジャー・ボーイとしてパラマウント映画でアルバイトを始める。
数学と物理学に長けていたため奨学金を得てカリフォルニア工科大学に入学したが、1年で中退してパラマウントに入り編集技師として働き始め、レオ・マッケリー監督の『邂逅』などを編集している。
1935年、短編ウエスタン『The Hawk』で監督デビュー。
いくつかのB級映画を手掛けたのち1942年、RKOへ移籍、同年に監督したプロパガンダ映画『ヒットラーズ・チルドレン/恐怖の殺人養成所』はわずか20万ドルの低予算で制作されたが322万ドルを稼ぎ出す大ヒットとなり、一躍注目を集める。
1943年、映画プロデューサーのエイドリアン・スコットと組み、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説『さらば愛しき女よ』を原作に『ブロンドの殺人者』を制作、その特異な画面構成はヨーロッパを中心に高く評価され、フィルム・ノワールの代表的な作品となった。
1947年には再びスコットと組んで、リチャード・ブルックスの小説『十字 ……
エドワード・ドミトリクさんが亡くなってから、25年と144日が経ちました。(9275日)