レオ・マッケリーLeo McCarey
映画監督、脚本家、プロデューサー[アメリカ]
1969年 7月5日 死去享年72歳
レオ・マッケリー(Leo McCarey, 1898年10月3日 - 1969年7月5日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。
本名はトーマス・レオ・マッケリー(Thomas Leo McCarey)。
人物・経歴=
カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
カトリックの教育を受けて育ち、弁護士を目指し、南カリフォルニア大学を卒業後、弁護士業につくが上手くいかず、一攫千金を夢見て鉱山開発の事業に手を出すもこれもまた失敗。
1918年に友人の伝手でユニバーサル映画に入社、1920年にトッド・ブラウニングの助監督につき、その演出スタイルに影響を受ける。
1923年にはハル・ローチの誘いで『ちびっこギャング』シリーズはじめ多くのコメディアンたちのギャグ・ライターとして才能を発揮。
短編映画の製作や監督を5年間に300本も手掛けるようになり、特にスタン・ローレルとオリバー・ハーディという名コンビを生み出して、『極楽危機一髪』『極楽珍商売』といったいくつもの傑作を発表、ローレル&ハーディと共にマッケリーもスラップスティック・コメディの名手として一時代を築く。
ちなみにこの時代に彼らの映画に撮影係として主に加わっていたのが、のちに名匠となるジョージ・スティーヴンスだった。
これらの功績からマッケリーはハル・ローチ撮影所の副社長に就任。
映画がトーキーの時代に入っても、エディ・カンター主演『カンターの闘牛士』、メイ・ウエスト主演『罪ぢゃないわよ』、三 ……
レオ・マッケリーが亡くなってから、55年と139日が経過しました。(20228日)