三宅幸夫 氏(みやけゆきお)
音楽学者[日本]
2017年 8月14日 死去肝硬変享年72歳
三宅 幸夫(みやけ ゆきお、1920年12月16日 - 1988年2月25日)は、奈良県橿原市出身の特許庁長官。
日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)副社長。
67歳没。
来歴・人物=
旧制八高、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、1943年に商工省入省。
同期に山下英明(通産事務次官)、新田庚一(経企事務次官)、楠岡豪(繊維雑貨局長)、長橋尚(公益事業局長、中部電力副社長、東邦石油社長)、井土武久(特許庁長官)など。
「官僚たちの夏」の庭野のモデル。
統制経済志向の佐橋滋の八高後輩であり、なおかつ重用され、池田勇人通産大臣秘書官(1959年 - )、重工業局鉄鋼業務課長(1960年 - )などを経て、通産省企業局次長(1968年 - 1969年11月)から繊維雑貨局長(1969年11月 - 1970年10月)を歴任。
しかし、次長から局長に昇任する過程で、次官候補からは外れたとされている。
繊維雑貨局長在任中、1969年11月以来、日米繊維交渉で局面打開にあたってきたが、当時の下田武三駐米大使の「アメリカの規制案を呑め」といった発言に、業界保護の通産省の立場から苦慮した。
外務省との呉越同舟関係が浮き彫りになった発言であったが、この駐米大使の発言に対しては、「日本政府の訓令違反にあたる」といった批判も出た。
こうした猛烈なせめぎ合いの立場から、持病の糖尿病が悪化したため、1970年8月に入院。
このことから、佐藤 - ニクソン会談で早急に政府間交渉を再開し、交渉妥結を図る ……
三宅幸夫さんが亡くなってから、7年と99日が経ちました。(2656日)