五條順教 氏
金峯山修験本宗管長、総本山金峯山寺管領[日本]
2009年 5月16日 死去心不全享年82歳
五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年)11月9日 - 平成21年(2009年)5月16日)は、日本の金峯山修験本宗の僧侶、2代管長、金峯山寺28代管領。
略歴=
1926年(大正15年)、東南院住職、五條覚澄の長男として吉野に生まれる。
旧制五條中学校を経て旧制京都第三中学校に転校。
出征して復員後に叡山学院に入学。
箱崎文応から四度加行を受ける。
叡山学院を卒業後に大正大学文学部史学科に編入、書道部部長になる。
1947年(昭和22年)、大峯修験宗として天台宗から独立する。
1948年(昭和23年)から大峯奥駈け修行を22年間続ける。
1952年(昭和27年)、大正大学を卒業して吉野に戻り、東南院の副住職に就任。
1954年(昭和29年)に住職となる。
福田赳夫の助言で開発を止め、後の世界遺産登録に繋げる。
1971年(昭和46年):2代目管長に就任。
1974年(昭和49年)、堂入りを吉野で初めて行い、四無行と名付ける。
1975年(昭和50年)に十万枚大護摩供を、1976年(昭和51年)に八千枚大護摩供を行う。
2009年(平成21年)5月16日、心不全にて遷化。
四弟の五條覚尭が管長を継いだ。
五條順教さんが亡くなってから、15年と189日が経ちました。(5668日)