ハシェミ・ラフサンジャニ 氏Akbar Hashemi Rafsanjani
政治家、元大統領[イラン]
2017年 1月8日 死去享年84歳
アクバル・ハーシェミー・ラフサンジャーニー(ペルシア語: اکبر هاشمی رفسنجانی Akbar Hāshemī Rafsanjānī [ækˈbæɾ hɒːʃeˈmiː ɾæfsændʒɒːˈniː] ( 音声ファイル)、1934年8月25日 - 2017年1月8日)は、イランの政治家。
大統領(第4代)などを歴任。
日本のマスコミなどでは長音記号を排しハシェミ・ラフサンジャニと表記されることが多い。
経歴=
王政時代=
イラン南東部のケルマーン州バフラマーン出身。
父のミールザー・アリーは、ウラマーであり、イランでも有数の農業主でもあった。
1948年、生家を離れ、シーア派の聖地ゴム市に赴き、ルーホッラー・ホメイニーに師事した。
1950年代初め、ラフサンジャーニーは、 シャー体制との闘争に初めて入った。
当時、彼は、国家の独立の強化を主張したモサッデグ博士の熱狂的支持者だった。
クーデタによりモサッデグ政権が倒れ、ラフサンジャーニーは当局のブラック・リストに入る。
1960年代、モハンマド・レザー・パフラヴィー体制は、経済状態が悪化し、政治的危機が増大する中、「白色革命」と呼ばれる社会・経済改革の実施に着手した。
改革の中にはウラマーの権限を侵すものもあり、ホメイニーはゴムで蜂起したが鎮圧された。
蜂起の組織者は国外追放され、ラフサンジャーニーを含むホメイニーの弟子達は投獄された。
ラフサンジャーニーはその後もさらに4回逮捕されている。
この時期、19世紀に西洋的近代化を ……
ハシェミ・ラフサンジャニさんが亡くなってから、7年と317日が経ちました。(2874日)