ジョン・ブローニングJohn Moses Browning
銃器設計者[アメリカ]
1926年 11月26日 死去心臓発作享年72歳
ジョン・モーゼス・ブローニング(John Moses Browning, 1855年1月23日 - 1926年11月26日)は、アメリカ合衆国の銃器設計家である。
本来、名字「Browning」の発音は「ブラウニング」に近いが、慣例的に「ブローニング」と表記される。
本項でもそれに倣い、以降は「ブローニング」で統一する。
経歴=
ジョン・ブローニングの登場=
ジョン・ブローニングは1855年にアメリカユタ州のオグデンで生まれる。
父親は同じく銃技師であるジョナサン・ブローニング。
末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員であったジョナサンには妻が二人存在し、そのためかジョンの周りの兄弟は異母兄弟5人を含め非常に多かった。
ジョナサンは商売も繁盛していたほか、一時は地方判事にも選ばれるほどの人物だった。
直系では彼の他に弟が5人存在したが、その中で長男のジョンは一番器用であったとされ、18歳の時には銃の修理など父ジョナサンの銃砲店を手伝うようになり、その他にも手作りでつくった革靴がオグデンで評判になるなどした。
その後、父親の銃砲店を引き継いだジョンは、24歳のときにはみずからレバーアクション式単発ライフルを開発し、1879年10月7日付けで特許を取得している。
1879年にジョンは生涯の妻となるレイチェルと結婚。
しかしこの年に父親のジョナサンがこの世を去ってしまう。
社長で一家の大黒柱でもあった父を失ったことで、兄弟達はその後の経営方針を話し合った結果、弟マシューの ……
ジョン・ブローニングが亡くなってから、97年と361日が経過しました。(35790日)