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内田修 氏(うちだおさむ)

外科医、ジャズ愛好家[日本]

2016年 12月11日 死去肺炎享年88歳

内田修 - ウィキペディアより引用

内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。
愛知県岡崎市出身。
名古屋大学医学部卒業。
数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。
その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。
「ジャズの街岡崎名誉顧問」。
略歴= 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。
1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。
1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。
1950年、名古屋大学医学部に入学。
NHKのラジオ番組「スイング・クラブ」を聴き、ジャズに本格的興味を持ち、ロベール・ゴーファン著「JAZZ - FROM CONGO TO METROPOLITAN」や、野川香文著「ジャズ音樂の鑑賞」でジャズを勉強するようになる。
1952年、名古屋市・広小路通のレコード店「OK百貨店」の店員と、ジャズ愛好クラブ「ナゴヤ・ホット・クラブ」(のちに「ホット・クラブ・オブ・ジャパン名古屋支部」に改称)を発足(1954年まで継続)。
同年、名古屋・栄にあった舞踏会館で第1回レコードコンサートを開催した。
また、東京・神田のレコード店「リズム社」店主・村岡貞と知り合い、出世払いでLPレコード12枚組のフォークウェイ「ジャズの歴史第2集ブルース編」を入手した。
1953年、東京 ……

内田修さんが亡くなってから、7年と345日が経ちました。(2902日)

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