高柳昌行 氏(たかやなぎまさゆき)
ジャズギター奏者[日本]
1991年 6月23日 死去享年60歳
高柳 昌行(たかやなぎ まさゆき、1932年12月22日 - 1991年6月23日)は、日本のフリー・ジャズ・ギタリスト。
東京都出身。
フリー・ジャズに影響を受け、実験的な即興演奏を追求した。
来歴=
19歳でプロとして活動開始。
1950年代末期から銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、「新世紀音楽研究所」という音楽家集団の中心人物として活動。
1960年4月、横浜でヘロイン3包を所持しているところを現行犯逮捕される。
1960年6月、懲役10月、執行猶予2年の有罪判決を受ける。
1960年7月にも麻薬で現行犯逮捕されたが、裁判官に才能を惜しまれて異例のダブル執行猶予を勝ち取る。
しかし1961年11月、2度目の執行猶予中に麻薬取締法違反で起訴。
1962年に実刑判決を受け、1年間の刑期に服する。
1969年に、吉沢元治(ベース)、豊住芳三郎(ドラムス)のニュー・ディレクション(NEW DIRECTION)との初のリーダー作『インディペンデンス』を発表。
1970年には、コンサート「解体的交感」にて阿部薫と共演。
Jojoのニックネームで知られる。
1980年に、ドイツのメールスで行われたジャズ・フェスティバルに出演。
晩年は、「高柳昌行アクション・ダイレクト」というソロ・プロジェクトで活動し、複数のギターと様々な機材を駆使した独演を披露。
また、1986年にはジョン・ゾーンと共演した。
その後も精力的にライブ活動を行なうが、1991年6月23日に肝不全のため永眠。
58歳であった。
音楽に関す ……
高柳昌行さんが亡くなってから、33年と152日が経ちました。(12205日)