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明石博高(あかしひろあきら)

化学者、薬学者[日本]

1910年 6月20日 死去享年72歳

天保10年10月4日、京都 (現・京都市下京区四条通堀川西入唐津屋町) で、医薬を扱う商家に生まれる。5歳で父を亡くした後は、外祖父で蘭方医の松本松翁に育てられ、西洋医術・化学製薬術を学修した。幕末期の京都に「煉真舎」を創設し、医学・理化学・薬学の研究に励む。明治2(1869)年、大阪病院を創設し、クーンラート・ハラタマやアントニウス・ボードウィンらを招き、自身は薬局主管となる傍ら、大阪舎密局ではハラタマのもとで助手を務めている。翌年、京都舎密局を創設するが、14年廃止となる。7年京都で日本最初の医師免許試験の実施を提言。また10年にはコレラの流行に際して、2年後の再流行を予言、検疫制度の採用を提案するなど、公衆衛生をはじめ多くの殖産事業に挺身した。号・静瀾。著作に「日本薬泉考」「化学撮要」などがある。

明石博高が亡くなってから、114年と167日が経過しました。(41806日)

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