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佐藤まさあき 氏(さとうまさあき)

漫画[日本]

2004年 3月11日 死去心不全享年68歳

佐藤 まさあき(さとう まさあき、1937年9月15日 - 2004年3月11日)は、日本の漫画家、実業家。
本名:佐藤雅旦(読み同じ)。
貸本漫画時代に劇画という分野を確立した劇画工房のメンバーであり、ピカレスク漫画の第一人者。
劇画界の代表的人物の一人。
来歴 = 大阪市西淀川区に生まれる。
1944年夏に父の実家のある愛知県祖父江町へ疎開。
1945年6月15日に空襲で自宅が全焼し、父が死去したため、そのまま祖父江町で育った。
1947年に手塚治虫の『新宝島』に衝撃を受け、手塚の模写で漫画を描き始める。
中学生の頃から『漫画少年』に漫画の投稿を始めて、『毎日中学生新聞』に入選。
1951年に会員数約70名の漫画研究会のあけぼの会を主宰し、機関誌『新天地』を発行した。
1951年秋に母が死去し、姉の嫁ぎ先の大阪で生活するようになる。
復讐のドラマが得意という佐藤の作風は、このときの義兄の処遇により形成されたものだという。
中学卒業後に祖父江町へ戻り、愛知県一宮市の印刷所に勤務する傍ら漫画を執筆。
1955年、印刷会社を退職して大阪へ転居。
同年、大阪の貸本漫画出版社、日の丸文庫・八興から描き下ろし単行本『最後の流星投げ』でデビューし、以後、単行本を月に1冊のペースで出して貸本漫画の世界で活躍。
ニヒルな主人公を描いたハードボイルドもので人気を博す。
1959年、辰巳ヨシヒロやさいとう・たかをらと共に劇画工房を結成し、上京。
劇画ブーム ……

佐藤まさあきさんが亡くなってから、20年と255日が経ちました。(7560日)