イーゴリ・タムIgor Yevgenyevich Tamm
物理学者[ソ連]
1971年 4月12日 死去享年77歳

イーゴリ・エヴゲーニエヴィチ・タム(ロシア語: И́горь Евге́ньевич Та́мм〔イーゴリ・イェヴギェーニェヴィチュ・ターム〕、Igor Yevgenyevich Tamm、1895年6月26日(ユリウス暦)/7月8日(グレゴリオ暦) – 1971年4月12日)はソビエト連邦、ロシアの物理学者である。
1953年パーヴェル・チェレンコフ、イリヤ・フランクとチェレンコフ効果の発見とその解釈の功績によりノーベル物理学賞を受賞した。
またアンドレイ・サハロフとともにトカマク型のプラズマ閉じ込めの方式を考案した。
経歴=
ウラジオストックに生まれた[1]。
1913年から1914年エジンバラ大学で学んだ後[2]、モスクワ大学を1918年に卒業した[1]。
1924年から1934年までモスクワ大学の教官を務めた[2]。
1934年のチェレンコフによる液体中のガンマ線の通過による発光現象の発見をうけて、1937年イリヤ・フランクとこのチェレンコフ放射を理論的に説明した[2]。
この功績で1958年にノーベル物理学賞を受賞した[1]。
後に核融合の研究を行うレベデフ物理学研究所で研究し、トカマク型の核融合炉の開発を行った[2]。
ノーベル賞のほか、1967年ロモノーソフ金メダルを受賞している[2]。
逸話=
タムの孫であるレオニード・ベルンスキイは、祖父から聞いた思い出としてドラマチックな逸話を証言している。
タムがロシア内戦中の1920年に、白軍の支配地域であったクリミアから、赤軍が解放していたエリザヴェトグラードへと脱出しようとした ……
イーゴリ・タムが亡くなってから、54年と80日が経過しました。(19804日)