スティーブン・フォスターStephen Collins Foster
作曲家[アメリカ]
1864年 1月13日 死去享年38歳
スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)は、ヘンリ・クレイ・ワークと並んで、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家。
20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと28曲のミンストレルソングである。
多くはメロディの親しみやすい黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌である。
「アメリカ音楽の父」とも称される。
生涯=
青年期まで=
ペンシルベニア州のピッツバーグの隣町ローレンスビルで、アルスター・スコッツ(北アイルランドに入植したスコットランド人)の曽祖父の家系を引く比較的裕福な家庭に10人兄弟の末っ子として育つ。
彼の生まれた家は「白壁の家」(White Cottage)と呼ばれていた。
父のウィリアムは、ヴァイオリンを演奏するほどの音楽趣味を持ち、母のエリーザ・トムリンスンも詩情豊かな教養に富む女性であった。
フォスター自身も幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せ、7歳からは横笛を、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットも修め、1841年、15歳の時にはアゼンス・アカデミー卒業式の際に自作の「ティオガ円舞曲」をアテネ・アカデミーの教会でフルートで奏した(この作品はピアノ独奏曲として現存する)。
作曲に興味を持ったフォスターはモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しみ研究していたという。
このようにアカデミックな音楽教育はほとん ……
スティーブン・フォスターが亡くなってから、160年と276日が経過しました。(58716日)