松田権六 氏(まつだごんろく)
漆芸家[日本]
1986年 6月15日 死去心不全享年91歳
松田 権六(まつだ ごんろく、1896年(明治29年)4月20日 - 1986年(昭和61年)6月15日)は、日本の蒔絵師。
人間国宝。
文化勲章受章者。
概要=
1896年、石川県金沢市生まれ。
7歳で蒔絵の修業を始める。
石川県立工業学校漆工科、東京美術学校漆工科で学ぶ。
1943年(昭和17年)、母校である東京美術学校教授に就任。
以後36年間にわたって教鞭を取った。
1947年(昭和22年)日本芸術院会員となり、1955年(昭和30年)には人間国宝に認定される。
伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。
1965年著書『うるしの話』で毎日出版文化賞受賞。
漆工芸史に名を残す名匠として、「漆聖」とも称えられた。
経歴=
1896年(明治29年)現・石川県金沢市大桑町の農家に生まれる。
1903年(明治36年)(7歳)兄孝作(仏壇職人)について蒔絵漆芸の習得をはじめる。
1914年(大正3年)(18歳)3月、石川県立工業学校卒業。
4月、東京美術学校漆工科入学。
1919年(大正8年)(23歳)3月、東京美術学校漆工科卒業。
卒業後、帝国陸軍第九師団歩兵第七連隊第十二中隊へ入隊。
1921年(大正10年)(25歳)3月、陸軍を除隊。
4月上旬より東洋文庫において朝鮮楽浪遺跡の出土漆遺品の修理を始める。
1925年(大正14年)(29歳)この年、六角紫水教授らの推薦で株式会社並木製作所に入社。
万年筆や喫煙具関係 ……
松田権六さんが亡くなってから、38年と159日が経ちました。(14039日)