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山田かまち(やまだかまち)

画家詩人[日本]

1977年 8月10日 死去享年18歳

山田かまち - ウィキペディアより引用

山田 かまち(やまだ かまち、1960年(昭和35年)7月21日 - 1977年(昭和52年)8月10日)は、日本の画家・詩人。
死後、遺作となった詩や絵画を収めた『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』(1992年)で広く知られるようになった。
生涯= 「かまち」の名前の由来は、終戦直後に両親が読んだ歴史小説、和島誠一著「日本歴史物語」の主人公の名前である。
その小説は「鹿麻知(かまち)」という少年が、石器時代を舞台に活躍するというものであり、両親は「終戦直後であったので、この少年のように新しい時代を強く生きるように」という願いをこめた。
また、「かまち」のひらがな表記の理由は、「かまち自身が自由に漢字をあてられるように」という意図がある。
群馬県高崎市出身。
幼少より絵画の才能を発揮した。
高崎市立倉賀野小学校へ入学。
同級生に後にロックバンドであるBOØWYに所属した氷室京介や松井恒松、ソプラノ歌手の出来田三知子がいた。
小学校3年生のとき、東京芸術大学出身で、後に新島学園高校の美術科非常勤講師となる竹内俊雄がクラスの担任になる。
その当時の冬休みの宿題で動物の絵(52枚)を1時間あまりで描き上げる。
これらの作品は竹内によって保管され、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。
のちに竹内はかまちを当時の美術界のパトロン井上房一郎に引き合わせた。
1973年、高崎市立倉賀野中学校に入学し ……

山田かまちが亡くなってから、47年と103日が経過しました。(17270日)

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