パウルス3世Paulus III
ローマ教皇[イタリア]
(ユリウス暦) 1549年 11月10日 死去享年82歳
パウルス3世(Paulus III、1468年2月29日 - 1549年11月10日)は、第220代ローマ教皇(在位:1534年 - 1549年)。
本名はアレッサンドロ・ファルネーゼ(Alessandro Farnese)。
イエズス会を認可し、プロテスタント側との対話を求め、教会改革を目指してトリエント公会議を召集した事で知られる。
生涯=
教皇選出前=
アレッサンドロ・ファルネーゼはトスカーナのカニーノに生まれる。
母は教皇ボニファティウス8世も輩出したカエターニ家の出身であった。
アレッサンドロは元々ローマやフィレンツェでウマニスタ(人文主義者)として知られ、インノケンティウス8世時代の教皇庁で頭角を現しつつあったが、妹ジュリアがアレクサンデル6世の愛人となったという事情もあり大抜擢され、1493年に枢機卿になった。
教皇クレメンス7世時代にはポルトゥスの司教枢機卿、教皇庁立大学の学長になり、クレメンス7世没後のコンクラーヴェで教皇に選出され、パウルス3世を名乗った。
プロテスタントとの対話=
教皇は手始めに14歳と16歳でしかなかった2人の孫アレッサンドロ・ファルネーゼ(息子ピエロ・ロドヴィコの長男)とグイド・アスカニオ・スフォルツァ(娘コスタンツァの息子)を枢機卿に任命した。
教皇庁がネポティズムの害悪から逃れられない時代であった。
しかし、続けざまにガスパロ・コンタリーニやレジナルド・ポール、ジャコポ・サドレト、ジョバンニ・カラファ(後の教皇パウルス4世)といった優 ……