海原お浜 氏(うなばらおはま)
漫才師、海原お浜・小浜[日本]
1994年 9月12日 死去享年79歳
海原お浜・小浜(うなばらおはま・こはま)は、上方の女流漫才師である。
戦後は道頓堀角座などの松竹系の劇場やトップホットシアター等に出演。
メンバー=
海原お浜(うなばら おはま、本名:梅本キミコ。
1916年5月22日 - (1994-09-12) 1994年9月12日(78歳没))岡山県高梁市出身。
オク目で長身。
海原小浜(うなばら こはま、本名:田中桃江。
1923年4月15日 - (2015-12-24) 2015年12月24日(92歳没))岡山県高梁市出身。
浪曲師の石川玉若は夫。
肌が白く小柄。
幼少から芸人であったために踊りや三味線に堪能であったが、漫才中にはほとんど披露する事はなかった。
実の孫に漫才師の海原やすよ・ともこ(姉妹)がいる。
来歴=
小浜は1923年4月15日備中高梁(岡山県高梁市)で誕生する。
幼少時に父が亡くなり母と二人暮らしとなる。
子供の頃、地元の芝居小屋に一座が来るのを楽しみで毎晩見に行き演者より先にセリフを喋るほど物覚がよく小屋主を困らせるが、その小屋主の勧めで月の家桃子として4歳で子供座長デビュー、母が後見人となり舞台などで活躍していたが母が死去し義理の父に育てられる。
義父も死去しすでに一座の座長だった小浜が、当時17歳の叔母のお浜を後見人として一座を再結成する。
1933年コンビ「ハッピー姉妹」結成。
奈良県大和高田市の高田劇場でデビュー。
戦前・戦時中の敵性語忌避の風潮により、「愛国お浜・小浜」と改称。
後「さざ波お浜・小浜 ……
海原お浜さんが亡くなってから、30年と70日が経ちました。(11028日)