大木浩 氏(おおきひろし)
政治家・元環境大臣[日本]
2015年 11月13日 死去脳梗塞享年89歳
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。
全国地球温暖化防止活動推進センター代表。
位階は従三位。
環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。
来歴=
愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。
愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。
第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。
1952年東大卒業後、外務省に入省した。
ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。
外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
1980年に退官。
1980年、第12回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で愛知県選挙区から出馬し、初当選。
党内では田中派に所属した。
1983年、通商産業政務次官に就任。
1987年、参議院商工委員長に就任。
1987年7月、経世会が結成され、田中派が竹下派(経世会)、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は竹下派に移った。
1988年、自民党国際局長。
1991年、参議院文教委員長。
1992年、3期目の当選を果たす。
1993年、自由民主党党副幹事長。
1996年、参議院自由民主党政策審議会長。
1996年10月の第41回衆議院議員 ……
大木浩さんが亡くなってから、9年と9日が経ちました。(3296日)