宮澤弘 氏(みやざわひろし)
政治家、元法相[日本]
2012年 5月26日 死去老衰享年92歳
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。
自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。
戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。
内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。
自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。
母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。
娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。
来歴・人物=
出生から学生時代まで=
広島県福山市出身。
宮澤裕の次男。
宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。
住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
お母さんのいうことをよく聞き、礼儀正しい子でしたね。
」という。
旧制武蔵高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。
官僚として=
高等文官試験行政科を受験(成績は99番)。
兄の喜一が大蔵省、弟の泰が外交官希望だったため、内務省(7月入省。
配属先は大臣官房付)に入省。
戦時中は海軍主計中尉、大尉としてボルネオに就く。
1946年復員後の7月、両親の住居に近い千葉県庁に2年間赴任の後、1948年新設された総理庁官房自治課(職制班)に復帰(課長は鈴木俊一)、地方自治法の改正にGHQとの交渉に ……
宮澤弘さんが亡くなってから、12年と179日が経ちました。(4562日)