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伊達里子(だてさとこ)

女優[日本]

1972年 10月23日 死去肺がん享年63歳

伊達里子 - ウィキペディアより引用

伊達 里子(だて さとこ、1910年10月11日 - 1972年10月23日)は、昭和期の日本の女優。
松竹蒲田に入社し、曲線美女優として売り出された。
モボ・モガの時代を代表する日本の女優。
松竹では、モダンガールの代名詞として、サイレントからトーキー(音声あり)に変革される日本映画黎明期から、昭和30年代まで映画界にて活躍した。
来歴= 生い立ち= 神奈川県横須賀市汐入に生まれ、幼い頃に東京市赤坂区に移る。
1923年に氷川台小学校から、文化学院中等部に入学。
当時の文化学院には、華やかな校風があり、同期には、入江たか子、夏川静枝、また恩師には与謝野晶子がいた。
映画界へ= 文化学院時代から女優志望だったが、1927年に卒業後に家出し、友人で女優になった入江たか子を訪ねて京都へ。
しかし再会できず、東京へ戻る時、三宮豊子と出会い、彼女の経営する中野町(現在の阿佐ヶ谷)のリウナというカフェで働いていたところ話題となり、偶然に親戚筋の松竹の脚本家・野田高梧と再会。
その縁で1929年7月に松竹に入社し、曲線美女優としてデビューする。
『ダンスガールの悲哀』(佐々木恒次郎監督)では、川崎弘子、結城一郎と共演。
翌1930年、小津安二郎監督、高田稔、川崎弘子の出演する『朗らかに歩め』に助演。
松竹蒲田にては『エロ神の怨霊』(小津安二郎監督)等、ナンセンス喜劇のヒロインとして活躍した。
1931年には、松竹を代表するモダンガール女優となり ……

伊達里子が亡くなってから、52年と29日が経過しました。(19022日)

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