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津野田是重(つのだこれしげ)

陸軍少将、政治家[日本]

1930年 9月2日 死去享年58歳

津野田是重 - ウィキペディアより引用

津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月25日 - 1930年(昭和5年)9月2日)は、大日本帝国陸軍の軍人、政治家。
熊本県出身。
最終階級は陸軍少将。
衆議院議員。
経歴[編集] 熊本藩士、陸軍大尉・津野田是秋の長男として生まれる。
中学済々黌、陸軍幼年学校を経て、1895年(明治28年)2月、陸軍士官学校(第6期)歩兵科を首席卒業。
同年5月、陸軍歩兵少尉任官、近衛歩兵第1連隊付となる。
1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を優等で卒業。
1901年(明治34年)6月、参謀本部出仕となり、参謀本部部員、フランス駐在、参謀本部付を経て、1904年(明治37年)5月、第3軍参謀に発令され日露戦争に出征。
旅順攻囲戦から奉天会戦まで戦った。
1905年(明治38年)5月、陸軍歩兵少佐に進級。
1906年(明治39年)2月、フランス駐在となり、参謀本部付(フランス出張)、陸大教官、近衛歩兵第3連隊大隊長を歴任し、1911年(明治44年)1月、陸軍歩兵中佐に進級。
1913年(大正2年)1月、奈良連隊区司令官に補され、1915年(大正4年)4月、陸軍歩兵大佐に進級。
同年8月、歩兵第11連隊長に転じた。
1919年(大正8年)4月、陸軍少将に進級すると同時に待命、同年8月、予備役に編入される。
予備役編入後、衆議院議員に政友会から立候補し当選、1920年(大正9年)から1924年(大正13年)まで勤めている。
栄典[編集] 1895年(明治28年)11月15日 - 正八位 1897年(明治30年)12月15日 - 従七位 ……

推定関連画像

津野田是重が亡くなってから、93年と329日が経過しました。(34297日)

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