三森久実 氏(みつもりひさみ)
大戸屋ホールディングス会長[日本]
2015年 7月27日 死去肺がん享年58歳
三森 久実(三森 久實[1]、みつもり ひさみ、1957年(昭和32年)11月18日[2] - 2015年(平成27年)7月27日[3])は、日本の実業家。
大戸屋ホールディングスの創始者で、同社の代表取締役社長や会長などを務めた。
兄は東京慈恵会医科大学特任教授の三森教雄[4]。
来歴=
山梨県山梨市出身[5]。
生家は観光ブドウ園で[1]、15歳の時に東京・池袋で「大戸屋食堂」を経営していた叔父・栄一の養子に入った[2][6]。
幼少期から野球を続けており、強豪校の帝京高等学校へ進んで甲子園を目指したが、卒業時にプロ球団からの指名を得られなかった[7]。
このため、野球をやめて大学へは進学せずに就職する道を選んだ[7]。
叔父の人脈により帝国ホテルで働くことが決まっていたものの、その前段階として新宿の洋食屋でコックの見習いとなり[7]、1976年に株式会社フローラフーズへ入社[2]。
しかしそれから半年ほどで叔父が体調を崩して大戸屋へ呼び戻され、休職という形で職場を離れた[7]。
1979年、叔父の死去に伴って事業を承継する[2]。
この時点で「1、2階の計48坪で1日の来店客は1000人以上。
月商3000万円、経常利益1000万円」を出していた[1]。
1983年に株式会社大戸屋を設立し、同社の代表取締役社長に就任[2]。
高田馬場と吉祥寺にチェーン店を展開し、事業を拡大させた[7]。
また、大皿料理の居酒屋やハンバーガーチェーンのフランチャイズ店にも手を広げたが、これらは失敗に終わった[1]。
1992年秋、 ……
三森久実さんが亡くなってから、9年と340日が経ちました。(3627日)