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竹島紀元 氏

「鉄道ジャーナル」創刊人、元社長[日本]

2015年 7月26日 死去肺炎享年90歳

竹島 紀元(たけしま としもと、1926年2月- 2015年7月26日)は、日本の編集者、映画監督。
雑誌『鉄道ジャーナル』、『旅と鉄道』の元編集長および両雑誌を発行する出版社鉄道ジャーナル社の元代表取締役社長(創業者)である。
日本における「ブルートレイン」の名付け親でもある。
経歴= 農林技官だった父親の赴任先、日本統治時代の朝鮮・通川で生まれ、その後京城(現・ソウル)に移り1945年の敗戦まで朝鮮半島で育ち(その間、1942年に福岡県久留米市の中学へ転校し、1944年に京城帝国大学予科へ入学のため京城へ戻り、敗戦を迎えている)、福岡県羽犬塚(現・筑後市)へ引き揚げる。
1946年に入学した旧制五高在籍中、理科系の学生は機関区で実習できると聞き熊本機関区にてSLの乗務実習を受けている。
九州大学工学部へ進む頃には乗務実習の経験から機関士に憧れ国鉄に入ろうと考えるも、高学歴のため入社しても現場の勤務には従事できないこと、国鉄発足直後で余剰人員を抱えており新規採用どころではないなどの事情で国鉄入社は断念する。
大学中退後、病院勤務の傍ら『鉄道ピクトリアル』誌に投稿して鉄道雑誌の取材・編集に関係するようになる。
また、同時期に8mmムービーでの動画撮影も始め、1959年にRKB毎日放送が主催する短編映画コンクールに出品した『山を越える機関車』が特選に入るなど10年ほどにわたり九州で活動を続けたのち、1961年に上京。
国鉄関係者の口利きで財団 ……

竹島紀元さんが亡くなってから、10年と22日が経ちました。(3675日)

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