立野信之(たてののぶゆき)
作家[日本]
1971年 10月25日 死去享年69歳

立野 信之(たての のぶゆき、1903年10月17日 -1971年10月25日)は日本の小説家。
千葉県市原郡五井町(現・市原市五井地区)生まれ[1]。
旧制関東中学校中退[1]。
略歴=
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4歳で母と生別し、12歳で父を失い、祖父母に養育される[2]。
中学時代に短歌を始め、窪田空穂らの「國民文学」に投稿[1]。
1921年に山田清三郎・松本昌夫・奧貫信盈・元吉利義らとともに短歌同人雜誌「曠野」を発刊[1]。
1922年に親戚の伊藤恣・山田清三郎らとともにプロレタリア文学雑誌『新興文学』を発刊し、同誌に評論「階級の文学」を發表[1]。
20歳で市原郡五井町役場に就職するも、2年後に佐倉步兵連隊に入営[1]。
除隊後の1925年頃より雑誌『文芸戦線』にエッセイや評論、詩を寄稿[1]。
1928年、軍隊経験を元に書いた「標的になった彼奴」を雑誌『前衛』に発表し、小説家としてデビューする[1][2]。
同年、山田清三郎らによって雑誌『戦旗』が発刊されると編集委員(のち編集長)となり、小説「軍隊病」「泥濘」「豪雨」などを発表[1][2]。
また、プロレタリア文化団体「ナップ」の書記長もつとめた[2] ……
立野信之が亡くなってから、53年と251日が経過しました。(19609日)