暁照雄 氏(あかつきてるお)
三味線漫才師、「暁照雄・光雄」[日本]
(本名・浜田登志夫)
2015年 5月29日 死去下咽頭がん享年79歳
暁 照雄・光雄(あかつき てるお・みつお)は、松竹芸能所属の音曲漫才コンビ。
それぞれが三味線を持って演奏しながらしゃべるスタイルで人気を博した。
メンバー=
暁 照雄(あかつき てるお、1937年5月17日 - 2015年5月29日)本名:浜田 登志夫(はまだ としお)。
徳島県阿南市羽ノ浦町出身。
血液型はA型。
立ち位置は舞台の上手。
父は浪曲師兼興行師で、兄も浪曲師。
長男は弁護士・政治家・高槻市長の濱田剛史。
幼少時から地元ののど自慢大会で入賞したり、大衆演劇の子役として舞台に立ったりし、地元の天狗連(素人によるグループ)内では、天才少年浪曲師として知られたという。
1948年、2代目東洋軒雷右衛門に弟子入りし、東洋軒雷坊の名をもらう。
すでに2席の曲をマスターしていたため、入門翌日に宇和島の融通座で初舞台を踏む。
浪曲のほか、芸者だった雷右衛門の妻らから三味線、端唄、小唄を仕込まれた。
14歳で座長に昇格し独立し、自身の一座を率いて旅回りに出たが、のどを傷めて休業を余儀なくされる。
1954年、別の浪曲一座の曲師として帯同したことをきっかけに活動を再開し、「暁輝雄」と改名する。
その後は東京に出て浪曲師・三門博の曲師を務めたり、大阪で河内音頭の鉄砲光三郎と組んで新世界新花月や道頓堀角座に上がったりするなどした。
その頃、松竹芸能の勝忠男と長谷川幸延は、人気のあったタイヘイトリオのような浪曲漫才路線のユニ ……
暁照雄さんが亡くなってから、9年と177日が経ちました。(3464日)