芸能人・経営者のおくやみ情報

中岡哲郎 氏(なかおかてつろう)

技術史学者[日本]

2024年 1月6日 死去腎不全享年97歳

中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日 - 2024年1月6日)は、技術史学者、大阪市立大学名誉教授。
妻・百合は経済学者浅沼万里の妹。
次男の中岡俊介は経済学者で国士舘大学准教授。
略歴= 京都府生まれ。
京都府立第一中学校卒業。
海軍兵学校に進むが4か月で敗戦。
1947年に第三高等学校に入学。
自然弁証法研究会で広重徹と出会う。
1950年に卒業して京都大学進学。
1953年京都大学理学部宇宙物理学科卒業。
在学中1951年の京大天皇事件で昭和天皇への質問状を書いた。
1953年 - 1960年定時制高校教諭。
1960年、『現代における思想と行動』で、三一新書の200点記念懸賞論文を受賞し、退職して薮内清の弟子となる。
1962年 - 1967年、のちの妻・百合の父が経営していた阪神溶接機材に技術者として勤務。
1968年神戸市外国語大学講師。
この頃、京都の烏丸今出川の茶房・食堂「わびすけ」(2011年閉店)の2階で原稿を書いていたことが、児童文学者の上野瞭に目撃されている。
時には会話を交わすこともあった。
1970年から熊沢誠、大森誠人らと「労働分析研究会」を開始。
また、統一社会主義同盟京大支部のメンバーとして、飛鳥井雅道、松浦玲、藤沢道郎、谷川稔、槌田劭らと勉強会を行う。
1976年大阪市立大学助教授、のち教授。
1992年定年退官、名誉教授、大阪経済大学教授。
1983年にメキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコ客員教授。
2024年1月6日、腎不全のため ……

中岡哲郎さんが亡くなってから、320日が経ちました。

「中岡哲郎」と関連する故人

推定関連画像