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イッセン・ハブレ 氏Hissène Habré

政治家、元大統領、元首相[チャド]

2021年 8月24日 死去新型コロナウイルス感染症享年80歳

イッセン・ハブレ - ウィキペディアより引用

イッセン・ハブレ(アラビア語: حسين حبري‎, フランス語: Hissène Habré, 1942年9月13日 - 2021年8月24日)は、チャドの軍人、政治家。
同国元首(大統領)を務めた(在任1982年6月 - 1990年12月)。
内戦と政権掌握= ハブレはチャド北部の都市であるファヤ・ラルジョーの出身。
幼少の頃から学業優秀であったため、チャドの宗主国であったフランス植民地省に就職。
上司である軍司令官の推薦を受けてパリの大学に留学し、政治学の学位を取得した後、1971年に帰国。
チャドは1960年の独立後、非イスラム主体の南部を基盤とするフランソワ・トンバルバイ政権が独裁を強化し、イスラム教徒の多い北部を冷遇していた。
このため、早くから北部側ではグクーニ・ウェディ率いる反政府組織「チャド民族解放戦線(FROLINAT)」が組織され、ハブレも加わった。
トンバルバイがフェリックス・マルーム将軍のクーデターで殺害される(1975年)と内戦終結が図られ、ハブレは1978年8月に政府の首相に就任した。
翌年にはグクーニ大統領、ハブレ国防相による民族統一暫定政府(GUNT)が発足した。
しかし、グクーニとハブレが対立し、ハブレ派の北部軍 (FAN)、グクーニ派の人民軍 (FAP)の間で再び内戦が勃発した(1980年3月)。
これにチャド北部アオゾ地域のウラン資源を狙うリビアのカダフィ政権が介入し、カダフィ支援の下でグクーニが首都を制圧した(1980年12月)。
リビア軍の撤退後、平和維持活動を名目 ……

イッセン・ハブレさんが亡くなってから、3年と89日が経ちました。(1185日)

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