宮脇愛子 氏(みやわきあいこ)
彫刻家[日本]
2014年 8月20日 死去膵臓がん享年86歳
宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 2014年8月20日)は、日本の彫刻家。
本名・磯崎愛子。
旧姓・荒木。
夫は建築家の磯崎新。
経歴=
静岡県出身。
熱海の資産家(商家)の一人娘として生まれ、幼少期より病弱のため戦時中も自宅療養し、丈夫になるようにと貴子、幹子と改名を繰り返した。
1945年に広津和郎が近所に転居して以降、家族ぐるみの交流が始まる。
1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。
在学中に俊三と結婚し(1960年に別居し1965年離婚)、1952年に大学卒業。
俊三はその後中央公論社の編集者となり、広津を担当した。
1953年文化学院美術科に学び、夫の実姉で画家の神谷信子を介して知り合った画家の阿部展也(阿部芳文)や齋藤義重に師事した。
1957年に米国へ短期留学して絵を学び、1959年に東京で初個展を開催後渡欧、瀧口修造の助言によりミラノに落ち着き、1961年に同地で個展開催。
パリ、ニューヨーク滞在を経て1966年に帰国し、銀座で開催した個展で2番目の夫となる建築家の磯崎新と知り合う。
1972年に磯崎と再婚するが、宮脇姓の頃に彫刻家として成功したため、俊三との離婚・再婚後も宮脇姓で活動した(外部リンクのインタヴュー参照)。
1960年代後半には、主に真鍮のパイプを使った彫刻作品を制作した ……
宮脇愛子さんが亡くなってから、10年と93日が経ちました。(3746日)