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田淵寿郎(たぶちじゅろう)

土木工学者[日本]

1974年 7月10日 死去享年85歳

田淵 寿郎(たぶち じゅろう、明治23年(1890年)3月3日 - 昭和49年(1974年)7月10日)は、大正、昭和期の日本の土木工学者。
都市計画推進者、近代的都市づくりの先駆者である。
名古屋市助役などを歴任。
来歴・人物= 広島県佐伯郡大竹村(現在の大竹市)出身。
中学から兄のいた大分県杵築に住む。
回漕問屋の十番目の子に生まれたので「十郎」と名付けようとしたらしいが、語呂が悪いということで「寿郎」とした。
回漕問屋の息子として育ったため、本人は将来は船乗りになりたかったらしいが、海軍兵学校の試験の身体検査で心肺機能に異常があることがわかり、入学のための身体基準が厳しい商船学校への進学を断念した。
また造船科に進もうとしたが、学校で所属していたボート部の練習が忙しく造船科に進むための必修科目である化学実験を受講しなかったことや当時造船業は不況であったこと等から、兄などの勧めもあって受講条件を科していない土木工学科へ進むことになる。
第五高等学校(現・熊本大学)から東京帝国大学工学部で土木工学を専攻。
卒業後、内務省入りし山形県工手、京都府技手などを経て内務技監大阪土木出張所工務部長となった。
雄物川、紀ノ川改修工事、琵琶湖の利水計画、和歌山港築港、淀川低水路計画などに腕を振るい、国内各地の主要河川事業に功績を残した。
また昭和13年(1938年)、日中戦争下の大陸に渡り上海や南京などの戦災地の復興を指 ……

田淵寿郎が亡くなってから、50年と134日が経過しました。(18397日)

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