田島治子 氏(たじまはるこ)
サカイ引越センター創業者[日本]
2013年 10月17日 死去多臓器不全享年73歳
田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 2013年10月17日)は、日本の実業家。
サカイ引越センター創業者、元社長(前取締役副会長)。
アートコーポレーションの寺田千代乃と並ぶ引っ越し専業者の二大女性社長といわれた。
広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)出身。
来歴=
広島県立因島高等学校卒業。
幼稚園の保母をしていたが、小さな運送会社「新海商運」の長男であった田島憲一郎と見合いをして、1962年、22歳で結婚。
大阪に出る。
1971年、夫・憲一郎が父親と意見が合わず飛び出し、独立。
大阪市を本拠にしていた実家と揉めないようにトラック2台で堺市に「新海商運」堺営業所を夫婦で設立した。
当初は運送業に徹していたが、一般運送は古くからある業界で新規参入が難しく、また規制でがんじがらめで、やがて経営難となる。
新たな仕事を探している時、当時泉北ニュータウン開発の始まりで、人がどんどん流入してくるのを見て、引越作業を手伝うような仕事をすれば商売になる、と思いつく。
当時の引越業は運送業の片手間仕事で、また季節変動があり、手をつけにくい"すき間産業"だった。
『引越手伝います』という看板を作って電柱に縛りつけて歩く。
この読みが当り、ニュータウン開発に伴う引越需要の拡大に合わせ同社も急成長した。
憲一郎の父親が亡くなり夫が実家を継いだため1979年、引越専門の「アーイ引越センター」を設立し社長に就任。
憲一郎は会長 ……
田島治子さんが亡くなってから、11年と35日が経ちました。(4053日)