藤沢嵐子 氏(ふじさわらんこ)
歌手[日本]
2013年 8月22日 死去老衰享年89歳
藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、1925年7月21日 - 2013年8月22日)は、1950年代に日本で活動したタンゴ歌手である。
本名:早川 嵐子(はやかわ らんこ)。
人物=
東京生まれ。
東京市立忍岡高等女学校(現:東京都立忍岡高等学校)卒業。
1943年4月に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)予科に入学。
平原寿恵子に師事した。
翌年本科声楽部に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、音楽学校を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。
大連近郊の瓦房店市に住み、父が勤める工場で働く女工に歌を教える日々を送る。
日本の敗戦後しばらくしてから、治安の悪化や父の失業などの理由から瓦房店市から大連に移り、家計を支えるためにダンスホールで歌い始める。
1947年3月に引き揚げ。
東京に戻ってからもなお、家計を支えるためにダンスホールやドサ回りでの歌手活動を続ける。
この頃、原孝太郎と知り合い、彼のバンド「原孝太郎と東京六重奏楽団」で歌い始める。
NHKラジオ『バンド・タイム』で偶然その音楽を聴いた早川真平がその歌声に惚れ込み、彼のバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の専属歌手として引き抜いた。
早川の元で本格的にタンゴを学び、1951年にビクターから初めてのレコードも出している。
1953年に藤沢、早川、刀根研二の3人で、タンゴのさらなる勉強のためにアルゼンチンに演奏旅行に出る。
この旅行の際に、フアン・ペロ ……
藤沢嵐子さんが亡くなってから、11年と91日が経ちました。(4109日)