川本末雄 氏(かわもとすえお)
日本画家[日本]
1982年 12月24日 死去享年76歳
日展特選 1949年 夕映 [1][4]
日展特選、白寿賞、朝倉賞 1953年 朝の渓谷 [1][4]
日展文部大臣賞 1971年 新秋譜 [1][4]
日本芸術院賞恩賜賞 1975年 春の流れ [1][4]
勲四等旭日小綬章 1982年 [1]
選出
日展審査員(1958年)[1]
日展会員(1959年)[1]
日展評議員(1968年)[1]
日展副理事(1977年)[1]
日展参事(1980年)[1]活動期間
1948年 - 1979年[1]影響を受けた芸術家
松岡映丘[1]
山口蓬春[1]
川本 末雄(かわもと すえお、1907年(明治40年)3月16日[2] - 1982年(昭和57年)[4])は、熊本県玉名村(現玉名市玉名)出身[2]の日本画家[2][4]。
現代的解釈による大和絵の世界を展開し[5]、郷里の菊池川周辺の自然風景をモチーフに、現代日本画の新境地を開いた[2]。
略歴=
1907年(明治40年)、熊本県玉名村に生まれる[2]。
旧制玉名中学校(現熊本県立玉名高校)を経て1929年[1]、東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学[2]、1933年卒業[1]。
松岡映丘に師事する[1][4]。
1938年の松岡映丘の死去により翌1939年より山口蓬春に師事[1][4]。
1948年、第4回日展(日本美術展覧会)にて「水辺薄日」が初入選、翌1949年第5回日展で「夕映」特選、1953年第9回日展で「朝の渓谷」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞[1][5]。
1971年第3回改組日展で「新秋譜」が文部大臣賞、1975年第7回日展「春の流れ」で翌1976年第32回日本芸術院賞恩賜賞受賞[1][4][6]。
1982年勲四等旭日小綬章を受章[1]。
1977年より日展 ……
川本末雄が亡くなってから、42年と190日が経過しました。(15531日)