ポール・ヘンリード 氏Paul Henreid
俳優、映画監督[オーストリア→アメリカ]
1992年 3月29日 死去肺炎享年88歳
ポール・ヘンリード (Paul Henreid、1905年1月10日 - 1992年3月29日) はオーストリアの俳優、映画監督。
誕生時のドイツ語名は、パウル・ゲオルク・ユリウス・ヘアンリート・リッター・フォン・ヴァッセル=ヴァルディンガウ(Paul Georg Julius Hernried Ritter Von Wassel-Waldingau)。
若年期=
1905年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったトリエステ(現イタリア領)に、ウィーンの貴族で銀行家の家庭に生まれた。
ウィーンの劇場で学び、マックス・ラインハルトの下で劇場デビューした。
1930年代には、ドイツ映画で映画デビューしたが、1935年にイギリスに渡った。
第二次世界大戦の勃発に伴い、敵国人として国外追放や抑留の危険にさらされたが、コンラート・ファイトの尽力により、イギリスに抑留されず残ることを許可された。
1939年、『チップス先生さようなら』で端役を演じ、その後ハリウッド渡航を許された。
経歴=
1942年、ヘンリードは彼にとって最も重要になる2つの映画に出演した。
『情熱の航路』では、彼とベティ・デイヴィスは、男が2つのタバコに火を付け、ひとつを女に手渡すという、映画の中で最も模倣されたシーンのひとつを演じた。
ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマンと共に出演した『カサブランカ』では、英雄的な反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じた。
1946年、ヘンリードはアメリカ合衆国の市民権を得た。
ヘンリードは、1940年代を通じて定期的に映 ……
ポール・ヘンリードさんが亡くなってから、32年と237日が経ちました。(11925日)