赤座憲久 氏
児童文学作家[日本]
2012年 8月31日 死去低酸素脳症享年86歳
赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 2012年8月31日)は、日本の児童文学者。
来歴=
岐阜県稲葉郡那加村(現各務原市)生まれ。
岐阜師範学校(後の岐阜大学教育学部)卒。
はじめは「短歌人」に入会して短歌を創作。
斎藤史に師事し、のちに「原型」に移る。
岐阜県内の小学校、岐阜県立岐阜盲学校の教員を経て1971年より大垣女子短期大学教授。
1962年『目のみえぬ子ら』で毎日出版文化賞、1964年『大杉の地蔵』で講談社児童文学新人賞、1988年『雨のにおい星の声』で新美南吉児童文学賞、産経児童出版文化賞、絵本にっぽん大賞、1989年『かかみ野の土』『かかみ野の空』で日本児童文芸家協会賞受賞。
盲人、原爆、沖縄などを主題とするほか、古代史に取材したものもある。
2012年8月31日、低酸素脳症のために死去[1]。
85歳没。
遺体は名古屋大学医学部へ献体された。
長女は児童文学作家のあかねるつ。
著書=
『緑窓 赤座憲久歌集』(短歌人会) 1949
『詩集 愛の嗣業』(レバノン舎) 1953
『目の見えぬ子ら 点字の作文をそだてる』(岩波新書) 1961
『詩集 瞳のない顔』(不動工房) 1961
『白ステッキの歌』(講談社) 1965
『ルツおはなしできる 幼児のことばと成長』(黎明書房) 1965
『詩集 天安門』(不動工房) 1966
『飛騨の高山』(角川文庫) 1968
『詩集 モンマルトルの丘』(詩宴社) 1969
『星はねこのなき声だ』(文研出版) 1970
『きつねのかしばこ』(文研出版) 1972
『 ……
赤座 憲久氏(あかざ・のりひさ=児童文学作家)8月31日午後8時47分、低酸素脳症のため岐阜県美濃加茂市の病院で死去、85歳。岐阜県出身。故人の遺志により葬儀は行わなかった。 戦争や障害者をテーマにした作品で知られ、同県立岐阜盲学校での勤務の後、1962年に「目の見えぬ子ら」で毎日出版文化賞を受賞。代表作に「雨のにおい 星の声」。児童文学誌「コボたち」の監修委員も務めた。 長女で児童文学作家のあかねるつさん(53)によると、遺言により遺体は名古屋大医学部に献体、献眼された。
赤座憲久さんが亡くなってから、12年と305日が経ちました。(4688日)