高林陽一 氏(たかばやしよういち)
映画監督、プロデューサー[日本]
2012年 7月15日 死去肺炎享年82歳
高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - 2012年7月15日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー。
京都府京都市生まれ。
父親は着物のデザイナー。
経歴=
1955年、立命館大学法学部政治学科中退。
1960年、銀座ヤマハホールで8m/mの自主映画の個人映写会を開き、若手実力派映画監督として注目される。
同年の『石っころ』が評価された。
1963年、16m/m第1作の「砂」がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。
1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。
1964年に発表した「ひなのかげ」はニューヨーク近代美術館所蔵作となり脚光を浴びる。
また小川紳介や松本俊夫らの監督と親交を結んだ。
「すばらしい蒸気機関車」は、記録映画ながら日本ヘラルド配給で劇場公開されてプロデビュー。
次いで劇映画に進出し、1975年のATGとの提携作「本陣殺人事件」、1976年の「金閣寺」などを監督した。
「本陣殺人事件」「往生安楽国」では高沢順子を起用した
映画監督、プロデューサー、脚本を手掛ける他、「ねらわれた学園」(角川春樹事務所、1981年)、「廃市」(ATG、1983年)、「縄と乳房」(にっかつ、1983年)などで俳優として映画出演した。
2012年7月15日、肺炎のため死去。
81歳没。
主な監督作品=
映画=
すばらしい蒸気機関車
餓鬼草紙(1973)
最後の蒸気機関車 ……
高林 陽一氏(たかばやし・よういち=映画監督)15日午前10時30分、肺炎のため京都市の病院で死去、81歳。同市出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主はおい正喜(まさき)氏。 日本の実験映画の草分け的存在で、「ひなのかげ」(65年)は米ニューヨーク近代美術館に所蔵された。「本陣殺人事件」(75年)や「金閣寺」(76年)などの商業作品でも知られる。
高林陽一さんが亡くなってから、12年と129日が経ちました。(4512日)