脇愚山(わきぐざん)
儒学者[日本]
(文化11年10月3日没)
1814年 11月14日 死去享年51歳
江戸中・後期の儒学者。名は長之。字は子善。通称・儀一郎。号に、愚山、蘭室。豊後国豊岡の人。若くして『四書集註』『唐詩選聞書』を読み、21歳熊本の藪孤山に入門、詩を伊形霊雨に学んだ。三浦梅園にも教えを請い、のち上坂して中井竹山に師事し、程朱学の基礎を固めた。熊本藩藩校時習館訓導、また、鶴崎定詰熊本藩士子弟教導方となった。帆足万里は門人。漢詩文・和歌・和文にも優れた。著作に、「淳風会講旨」「歳蘭漫語」「大学質問」「蘭室集略」「籬草」「見し世の人の記」など。(参照元・朝日日本歴史人物事典)
脇愚山が亡くなってから、210年と6日が経過しました。(76709日)