麻生豊(あそうゆたか)
漫画家[日本]
1961年 9月12日 死去心不全享年63歳
麻生 豊(あそう ゆたか、1898年(明治31年)8月9日 - 1961年(昭和36年)9月12日)は日本の漫画家。
本名は麻生 豊(あそう みのる)。
経歴=
大分県宇佐郡横山村(のちの宇佐市)出身(同郡麻生村、あるいは大野郡三重村=のちの豊後大野市とする資料もある)。
絵を描くことに加えて機械いじりが好きだったため、高等小学校卒業後に上京し、築地工手学校(のちの工学院大学)機械科へ進学。
卒業後はパイロットを志願して千葉県の津田沼にある専門の学校に進学を決めるが、練習機の事故を目前にしたことで恐怖を覚えて夢を諦め(病気のために一時帰郷したとする資料もある)、東京の本郷にあった美術研究所で洋画を学ぶ。
1920年(大正9年)、北澤楽天が主宰する漫画家養成塾「漫画好楽会」に入会。
翌年より「麻生 馳羊」を名乗り、時事新報の政治漫画記者として活動を開始し、漫画の執筆によって生計を立てるようになる。
1922年(大正11年)、ペンネームを「麻生 豊」に改め、報知新聞社に漫画記者として入社する。
当初は政治漫画を中心に執筆していたが、1923年(大正12年)から報知新聞夕刊で『ノンキナトウサン』の連載を開始し、1926年(大正15年)10月にヨーロッパ旅行のため離日するまで600話以上執筆した。
1927年(昭和2年)に帰国し、報知を退社。
1929年(昭和4年)から1932年(昭和7年)にかけては、読売新聞社の嘱託となった。
1932年(昭和7年)に朝日新聞社に入社し、1933 ……
麻生豊が亡くなってから、63年と70日が経過しました。(23081日)