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杉山憲夫 氏(すぎやまのりお)

政治家[日本]

(元衆議院議員、沼津学園理事長)

2012年 2月27日 死去腎盂がん享年83歳

杉山 憲夫(すぎやま のりお、1930年3月3日 - 2012年2月27日)は、日本の政治家。
衆議院議員(5期)、静岡県議会議長、静岡県議会議員、清水町議会議員、学校法人沼津学園理事長(第4代)を務めた。
静岡県議会議員の杉山盛雄は長男。
来歴= 静岡県駿東郡清水村(現清水町)堂庭出身。
三男五女の八人兄弟の長男であった。
実家は農業を営んでいた。
中学卒業後、当初は静岡県立田方農業高等学校へ進学。
片道1時間半の道のりを徒歩で通学した。
3年在学時、教員の奮う暴力に反発し、同級生を集めて授業をボイコット。
その後の教員との衝突もあり、静岡県立裾野高等学校へ転校する。
大学進学を希望していたが、家庭の事情であきらめ家業を継ぐ。
1954年2月に結婚する。
このころ、遠藤三郎衆議院議員と知り合いその後援会の連合青年部長に就任。
1952年の総選挙で遠藤が再選を果たした際、その選挙活動中に杉山が聴衆へ蜜柑と煎餅を配ったことで買収の疑いをかけられ逮捕されるも、取り調べの結果、無罪放免となった。
1958年、遠藤の勧めでブロック会社の沼津工場長に就任する。
1963年には地元である清水村の村議会議員選挙に立候補し当選。
政治の道へと進む。
清水村はその年の11月に町制施行で清水町となり、引き続き清水町議会議員を務めた。
1967年には静岡県議会議員に初当選。
自由民主党静岡県連青年局長、静岡県議会議員総会長を歴任する。
1976年、 ……

杉山 憲夫氏(すぎやま・のりお=元衆院議員、沼津学園理事長)27日午後3時50分、腎うがんのため静岡県長泉町内の病院で死去、81歳。静岡県出身。葬儀は4日午後2時から静岡県清水町久米田69の8の駿東平安典礼会館で。喪主は妻君子(きみこ)さん。 86年衆院選で旧静岡2区に自民党から出馬し、初当選。以後5回連続当選。建設政務次官、衆院運輸委員長を歴任した。93年に新生党結党に参画したが、新進党を経て自民党に復党した。

杉山憲夫さんが亡くなってから、13年と246日が経ちました。(4994日)

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