山本卓眞 氏(やまもとたくま)
陸軍少尉、コンピュータ技術者、富士通 元社長・元会長[日本]
2012年 1月17日 死去肺炎享年88歳
山本 卓眞(やまもと たくま、1925年9月11日 - 2012年1月17日)は、日本の陸軍軍人、計算機工学者、経営者。
従三位。
勲一等瑞宝章。
藍綬褒章、大英帝国勲章受賞。
人物=
池田敏雄のチームでソフトウエア開発担当としてFACOMの開発に係わるなどの功績を挙げ科学技術庁長官賞(科学技術功労者表彰)を受賞、後に富士通の社長(9代目)・会長・名誉会長を歴任した。
米IBMとの著作権紛争をはじめ、半導体やスーパーコンピュータをめぐる日米貿易摩擦でも一歩も引かない気骨を見せたことから、「闘う経営者」と呼ばれた。
実兄の卓美が八紘第八隊(勤皇隊)隊長としてフィリピンで戦死しており、戦争遺族の活動にも積極的に参加した。
日本会議副会長、同台経済懇話会会長、「佐藤正久を支える会」会長等も務めた。
年譜=
1925年 - 熊本市に陸軍軍人・山本吉郎とフジエの次男として生まれる。
両親は福岡県の人で父は農家、母は士族の出身。
2歳のときに消化不良を起こし、医者もサジを投げたが、母が「ゲンノショウコ」を用いたことにより奇跡的に回復した。
東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学するが、その後陸軍幼年学校に編入。
1943年 -陸軍航空士官学校入学(58期)。
1945年 - 3月に陸軍航空士官学校を卒業、少尉任官。
満州に侵攻したソ連軍を迎撃するために編成された"若楠特攻隊"の一員として満州に渡るがそこで終戦。
8月16日に ……
山本卓眞さんが亡くなってから、12年と363日が経ちました。(4746日)