山下文男 氏(やましたふみお)
津波史研究者[日本]
2011年 12月13日 死去肺炎享年88歳
山下 文男(やました ふみお、1924年 (大正13年)1月16日- 2011年(平成23年) 12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。
元日本共産党中央委員会文化部長。
『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。
経歴・人物=
岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。
1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。
1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。
この時期の昭和東北大凶作も体験している。
1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
1970年代には日本共産党中央委員会文化部長を務め、民社党委員長春日一幸の発言に端を発した日本共産党スパイ査問事件の蒸し返しに対する批判や、日本共産党と創価学会との合意についての協定(共創協定;創共協定)締結などで重要な役割を果たした。
のち、同党名誉幹部会委員となる。
1986年以降、歴史地震研究会会員として著述と津波防災活動に従事した。
自らの体験を踏まえて近代日本の津波史を研究、『津波てんでんこ-近代日本の津波史』(新日本出版社)など多数の著作を通じて津波の恐ろしさを訴え続けた。
津波の記憶を風化させまいと、学校などで体験を語る活 ……
山下 文男氏(やました・ふみお=津波史研究者)13日午前0時34分、肺炎のため盛岡市の病院で死去、87歳。岩手県出身。連絡先は同県大船渡市三陸町綾里石浜22の1の長男允一(まさかず)氏。葬儀は17日午後1時から大船渡市盛町みどり町20の1の花祭苑で。喪主は允一氏。 33年の昭和三陸地震の大津波体験から、津波が来たらてんでんばらばらに逃げるという意味の「津波てんでんこ」を広め、津波の研究を続けた。著書に「哀史 三陸大津波」「津波ものがたり」など。東日本大震災発生時は同県陸前高田市の病院に入院中で、病室があった4階まで津波が押し寄せたが、カーテンにしがみついて助かった。(2011/12/14-11:18)
山下文男さんが亡くなってから、12年と344日が経ちました。(4727日)