琴櫻傑將 氏(ことざくらまさかつ)
元相撲力士・第53代横綱[日本]
2007年 8月14日 死去多臓器不全享年68歳
琴桜 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。
第53代横綱。
本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。
来歴=
幼少期~入門=
1940年11月26日に、鳥取県倉吉町の借家地で警察官の子として誕生する。
倉吉町立成徳小学校を卒業後、倉吉町立東中学校時代に実父から柔道を仕込まれ、本来は中学生では取得を認められていない段位を特例で認めてもらうほどの腕前にまで上達する。
偶々柔道の全国大会のTV中継を見てその才能を見出し、そうして鳥取にやって来た佐渡ヶ嶽から熱心に勧誘されたが、周囲に反対されるもののどうにか了解を得て佐渡ヶ嶽部屋に入門、1959年1月場所に初土俵を踏んだ。
卒業まで3ヶ月程残っていた鳥取県立倉吉農業高等学校には、特別に卒業扱いにさせて貰った。
実質的に高校は卒業間近で中退したことに変わりはなく、孫の2代琴ノ若の大関昇進の際には「卒業間際に中退」と報道でも伝えられている。
それでも本人は「中学卒業後に入っておけばよかった」「早く入門していれば、もっと早く横綱になっていたかもしれない」と高校に進学したことを悔いていた。
なお、相撲部は正部員ではなく助っ人扱いだったといい、それでも相撲の全国大会に出場するなど活躍したとのこと。
四股名は番付に初めて載った時は本名の「鎌谷」だったが、関取昇進時に「琴櫻」へ改名 ……
琴櫻傑將さんが亡くなってから、17年と100日が経ちました。(6309日)