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中村芝翫 氏(なかむらしかん)

女形歌舞伎役者・7代目[日本]

(人間国宝)

2011年 10月10日 死去肝不全享年84歳

中村 芝翫(なかむら しかん)は、歌舞伎役者の名跡。
定紋は祇園守(成駒屋祇園守)、替紋は裏梅。
屋号は初代と二代目が加賀屋、三代目以降が成駒屋。
成駒屋祇園守 成駒屋裏梅 概要[編集] 「芝翫」は三代目中村歌右衛門の俳名に由来する。
三代目歌右衛門は文化15 - 16年 (1818年 - 1819年) の短い期間これを名跡として名乗っていた。
かつては歌右衛門の前名として使われていたが、七代目は叔父の六代目歌右衛門と年の差が無かったので七代目は「歌右衛門」を襲名せず終生この名で通し人間国宝となった。
七代目没後、七代目の遺言により七代目の長男が「歌右衛門」を襲名する事となったものの2013年に七代目の長男が病に倒れたため、2024年現在は「七代目歌右衛門」襲名自体が棚上げとなっている。
さて七代目没後空名跡となった「芝翫」は七代目の遺言により七代目の死から5年後の2016年に七代目の次男・三代目中村橋之助が「八代目中村芝翫」を襲名した。
これにより「芝翫」は歌右衛門の前名ではなくなり、独立した名跡となった。
歴代[編集] 初代 中村芝翫 初代中村歌右衛門の子、1778年 - 1838年。
狂言作者として金澤龍玉。
初代加賀屋福之助 → 三代目中村歌右衛門 → 初代中村芝翫 → 三代目中村歌右衛門 → 中村玉助(隠居名) 二代目 中村芝翫 初代の門弟で後に養子、1798年 - 1852年。
藤間亀三郎 → 中村藤太郎 → 初代中村鶴助 → 二代目中村芝翫 → 四代目中村歌右衛門 三代 ……

歌舞伎界を代表する女形の一人で人間国宝の中村芝翫(なかむら・しかん、本名中村栄次郎=なかむら・えいじろう、日本俳優協会会長)さんが10日午前0時50分、肝不全のため東京都文京区の病院で死去した。83歳だった。東京都出身。葬儀は27日午後2時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻雅子(まさこ)さん。 東京・新橋演舞場の「秀山祭九月大歌舞伎」で、初日の9月1日に「沓手鳥孤城落月」と「口上」に出演した後、体調を崩し、休演していた。 大正から昭和の初めにかけて絶大な人気を誇った五代目中村福助の一人息子として生まれ、5歳だった1933年に東京・歌舞伎座で四代目中村児太郎を名乗って初舞台。その数カ月前に父を亡くし、12歳の時に祖父の五代目中村歌右衛門も他界。祖父の遺言で六代目尾上菊五郎に預けられ、厳しく芸を仕込まれた。 六代目菊五郎の死後、その業績を継承するために結成された尾上菊五郎劇団に参加し、家の芸とは異なる芸風の芝居を学んだことが、演技の幅の広さにつながった。 41年に七代目中村福助、67年に七代目中村芝翫を襲名。錦絵から抜け出たような風格のある端正な舞台は後進の手本となった。「伽羅先代萩」の政岡や「魚屋宗五郎」の女房おはま、舞踊では「藤娘」「娘道成寺」などが当たり役。 89年に日本芸術院会員となり、96年に人間国宝に認定された。2006年には文化功労者に選ばれ、08年から日本俳優協会会長を務めていた。 長男は歌舞伎俳優の中村福助さん、次男は中村橋之助さん、中村勘三郎さんは娘婿。 (2011/10/10-15:25)

推定関連画像

中村芝翫さんが亡くなってから、12年と291日が経ちました。(4674日)